国際女性デー2019.3.8

今年の国際女性デーは、沢山の助産師さんと産後ドゥーラさんとご一緒だった。



国際女性デーのイベント受付にて@神奈川県助産師会立とわ助産院様研修室)


去年の国際女性デー2018は、米国ドゥーラ協会のドゥーラトレーナーデボラさんと一緒に護国寺のお寺で、世界の女性の幸せを目を閉じて、日本の出産ドゥーラのみなさんと一緒に祈った。

涙があふれた。


〜〜〜国際女性デー3月8日への思いをここに〜〜

開発の主流=メインストリームに女性を据えることの大切さを、北谷勝秀先生(元UNFPA事務次長/元UNDPミャンマー代表/元NPO2050理事長)と北谷昭子さんに教えていただきながら、海外を旅し始めた。大学5年生(23歳)の時からの、憧れのご夫妻。

(2016年の暮れ、北谷ご夫妻のご結婚54周年の記念日に)


 この星の、どこで出産をするか?その違いで「産科フィスチュラ」を患ってしまう可能性があることの、とうてい想像もできない理不尽さを『世界人口ブレティン(NPO2050機関紙・編集長西内正彦さん)』を通じて知ったのは、長男の育児休職中。 


産後ケアの当事者(受益者:産後女性)として産後のリハビリを体験し、その後NPO会員として「産後女性のリハビリプロジェクト(マドレボニータ)」を応援し始めて満12年。産後ケアの分野というのは、経済大国日本で21世紀でも、人類未踏の土地とかわらない有様であることを教わり、驚愕したことを鮮明に覚えている。次男の育休中。 

(↑まだ任意団体だったころのマドレボニータの忘年会2007年末。ブログ記事より)


第3子は、シンガポールで海外出産。


3.11を本州から5300km離れたシンガポールで迎え、いてもたってもいられずに、東京都助産師会母体の被災地支援活動「東京里帰りプロジェクト」広報チームに海の向こうから参画(2011.4〜2012.3)。助産師さん達の熱い思いを、ただもう遠くから応援しつつのボランティア。


その後、日本へ一人出稼ぎに往復(常夏⇄羽田)してた2012年育休明けのあたひ(37歳 the 出稼ぎマミー)。すでに懐かしい。持続可能な働き方ではなかったけど、後悔は一つもない。 


2013.12 家族5人で帰国。引き渡し前のお部屋で、家族向けに「誕生学」のプライベートレッスンをアンデルセン典子さんにお願いしました。思い出たくさんのお部屋の最後のひととき、愛がいっぱーい

産科フィスチュラのドキュメンタリー映画上映会をスタート2014.12. 


常夏生まれの娘っこは、今年10歳に。 

彼女や彼女のお友達が”産後”を迎えるころ、 

もっと豊かな産後がメインストリームとなっているよう、 

できることを、いっこずつ。 

感謝を携えて。 


2019年国際女性デーによせる思いをここに綴っておきます。

大切なものを、たいせつに。

これからも、いっこずつ。

↑第3子出産の翌日、Sunshine Plazaのよっきゅん&リえたんがお祝いにかけつけてくれました。娘は、私の事を「マミー」と呼び、2人のことを「ママ」と呼んでいました。

たくさんの抱っこ(時には、おっぱいまでお世話になってw)、おおきくおおらかに育ちました。


「子育は、十人十色 みんなで子育て地球の宝!」

そう唱えながら、5年間の駐在家族の子育てライフを楽しんできたっけ。


ほんとうに大切なもの、それは

生きる自分を、ほめてくれるひと。

みとめてくれるひと。

大切にしてくれるひと、なのかもね。


娘っこを、大切に抱いてくれた、みなさんに感謝。

娘っこの産後にも、そんな優しさがまわりにありますように。

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